森松工業といえば、社会インフラを支える開発型メーカーとして、長年ステンレス加工の高度な技術を磨き続けてきた企業だ。水道施設、建築設備、プラント設備、さらには航空・宇宙分野まで、生活と産業を支える領域で製品を手がけている。
特に配水池やタンクなどの製造では、設計から製作までを一貫して担い、「オンリーワン技術」と呼ばれる独自の加工技術で国内外のインフラを支えてきた。
そんな世界市場へ展開される森松工業のタンクづくりにおいて、一工程を障がい者だけが担っている事実を、あなたはご存じだろうか。
森松工業には溶接という専門性の高い技術を軸に、工程そのものを設計し直すことで、障がい者が実際に“戦力”として機能する現場がある。
企業の生産活動に不可欠な工程を任せ、評価基準も一般社員と同じ土俵。つまり、障がい者が現場を支える一人の働き手として、会社の中核を担っているのだ。森松工業が掲げる理念は
「親なき老後を支援できる会社」
仕事を通して障がい者の生活を支え、人生の土台をつくるという思想が、理想ではなく“仕組み”として機能している。
今回は、森松工業の障がい者雇用が、どのように生まれ、どう育ってきたのか。障がい者雇用を立ち上げ、現場をつくってきた担当の山中裕之さんに詳しくお話を伺った。
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| 名称 | 森松工業(株) 本巣工場 |
|---|---|
| 所在地 | 〒501-1205 岐阜県本巣市曽井中島2223−1 |
| 連絡先 | 0581-34-4111 |
| 公式サイト | https://www.morimatsu.jp/ |
目指したのは「親なき老後を支援できる会社」

「現在のかたちになるまでには、たくさんの時間と失敗がありました」
森松工業が障がい者雇用に向き合い始めたきっかけは、理想や先進性を掲げたスタートではない。
障がい者雇用促進法に基づく法定雇用率を満たせない状態が続き、「社名公表のリスクもあるので、“数を入れよう”」というところから始まったという。
当時の障がい者雇用の現場は、会社の中の雑用を切り出し、「とりあえず任せる」という仕事が中心だった。
障がい特性への理解も十分ではなく、受け入れる現場の準備も整っていない。雇っては辞めていく、現場との摩擦が絶えない状況が続いていた。
そんな中、山中さんの中に生まれたのが、ひとつの想いだった。

「親なき老後を支援できる会社になろう」
親が元気なうちは、生活も仕事もなんとか成り立つ。だが、親がいなくなったあと、本人はどうやって生きていくのか。
やりがいを感じられない仕事、やらされる仕事では力もつかず、次につながる自信も生まれない。
それでは、いずれ訪れる将来に耐えられないのではないか。
「数合わせではなく、長く働いて自立していける仕事を提供できる会社になれないか――そこを目指そうと思ったんです」
しかし、ここで一つの壁にぶつかる。
長く続く職場とはどんな現場なのか。自分たちのやり方は本当に正しいのか。
その答えを求めて、山中さんは当時、障がい者雇用の成功事例を持っていた会社を見学することになる。
「普通に働いている姿」が、考えを変えた

山中さんが会社見学で目にしたのは、「支援されている人」ではなく、仕事を担う一人の働き手として現場に立つ障がい者の姿だった。
障がいがあると「周囲と同じように仕事ができない」といった前提そのものが、静かに覆された瞬間だったという。
気づいたのは、「どう雇うか」ではなく、「その人に合う場所・合う仕事をどう見つけるか」という全く逆の視点。
「…採用のやり方が違うんだ」
この気づきが、森松工業における障がい者雇用の考え方、そして採用のあり方そのものを次の段階へと進めていくことになる。
できる・できない を「現場で」見るインターンシップ

採用の見直しとして始めたのが、特別支援学校と連携したインターンシップだ。
面接や書類だけでは、仕事への理解度や体力、安全面、その人が現場でどう動くのかまでは分からない。
「実際の工場で、実際の仕事を体験してもらおう」
インターンシップを通じて、企業側は「この工程を任せられるか」を、本人は「この仕事を続けられそうか」をお互いに確かめる。
単なる「できる・できない」ではない。
どの工程なら力を発揮できそうか、どんなサポートがあれば安全に働けるかといった、会社側に求められる環境整備を考える期間でもある。
「インターンシップをやるようになってから、採用後に辞める人は明らかに少なくなっていきました」
こうして、インターンシップ制度は、障がいのある人を「支援の対象」ではなく、仕事を担う一人の働き手として迎え入れる森松工業の障がい者雇用の土台となっていった。
「困っているのは今」だから、社内で支える

もう一つ、森松工業が選んだ道に、ジョブコーチの社内育成がある。
障がい者雇用を進める中で、現場では日々、小さなつまずきが起きる。作業の手順が伝わりにくかったり、不安から動けなくなったりする場面もあった。
「問題が起きた時に“すぐ”対応できるかが大事なんです」
外部の支援員を待つ余裕はない。現場を知る人が、その場で声をかけ、状況を整理し、必要な調整をすぐに行える体制。
ジョブコーチを社内で育てるという選択は、この体制を整えるために現場から生まれた必然だったという。
同じ職場にいるジョブコーチがその場で対応することで、本人には「分かってもらえている」という安心感を、現場には「無理なく任せられる」という信頼感が育っていった。
社内だけにこだわらない、もう一つの視点

社内でジョブコーチを育て、現場対応を重ねてきた森松工業だが、取り組みが深まるほど、社内の視点だけでは限界があると感じるようになっていったという。
本人は無理をして合わせているのに「頑張っている姿」として受け取ってしまったり、「最近様子が違う」と思ってもプライベートまで踏み込みきれなかったりする場面があった。
そこで、発達支援の専門家である公認心理師 小田智世さんに定期的に現場を見てもらい、業務内容や関わり方が本人の特性に合っているかを第三者の立場から確認してもらう体制を整えた。
「最近元気がないなと思ったら、夜更かしして漫画を読んでいたらしいんですよ」
と山中さんは笑う。社内の人には言いにくいことも、第三者の小田さんだからこそ素直に話せる。
仕事だけでなく家庭での様子や生活リズムといった会社の外の部分まで理解することで、「なぜ今つまずいているのか」を立体的に捉えられるようになったという。
社内ジョブコーチによる即時対応に、社外専門家の視点。
障がいのある人が無理なく役割を担い、続けられる形で働ける環境は、こうして少しずつ強度を増していった。
現場で働く人たちは、何を思い、どこを目指しているのか

では、実際に現場で働く人たちは、この職場をどう感じているのだろうか。
障がい者が担当する工程を管理し、日々メンバーと向き合っている吉田正晴さんに話を伺った。
「みんな向上心が高いな、と感じます。パートからスタートして、早く契約社員に上がりたい、という人が多いですね。」
森松工業で障がい者が昇進する基準は、一般社員と同じだ。
「“溶接した枚数”がひとつの目安になります。毎日〇枚を溶接できたら、昇進できるよ、という形です。」
評価基準がはっきりしているからこそ、現場には前向きな空気が生まれる。
また、採用前のインターンシップが、上手く機能していると続けた。
「インターンシップで、溶接を体験してもらうと“この人ならできそうだな”というのが分かるし、本人もやる気を持って入ってきてくれるので、ミスマッチが少ないですね」
そして吉田さんには、ひそかに期待している未来がある。
「いずれ、彼らの中からリーダー的な存在が出てきて、この工程を管理してくれるようになったら、と思っています」
障がいの有無ではなく、仕事に向き合い、成長していくひとりの働き手として関わる。
この視点があるからこその印象深い言葉だった。
ここまでやっても、100%は目指さない

会社の中で批判的な意見もあるのではないか、と尋ねると、山中さんは理想論を語らなかった。
「100%、全員に理解してもらえるとは思っていないんです」
それでいい、と山中さんは静かに答える。彼らが働く姿を見てもらえれば、それで十分だと。
試行錯誤を積み重ねた今、森松工業には一つの事実が生まれている。
「最初は障がい者が1人だけだった工程が、今はジョブコーチ以外は全員障がい者です」
かつて、仕事を与えられる側だった障がい者が、今やひとつの工程を丸ごと担い、世界のインフラを支える企業の生産を支える存在になった。
これは、彼ら自身が現場で信頼を積み重ね、自分たちの居場所を仕事で勝ち取ってきた結果でしかない。
障がい者雇用を「支援」と呼ぶには、あまりにもそぐわない。
彼らの働く姿は何よりも雄弁に、「働くことで自分の人生を自分で支える」という答えを力強く示している。
「親なき老後を支援できる会社」それが今、森松工業には力強く息づいていた。
